制度を使って、生活は少し落ち着いてきた。
支援の場にも通いはじめて、なんとか日々は回っている――
それでも、ふとした瞬間に襲ってくる不安がありました。
「自分、いま何もしてないな」
「このまま、ずっとこうだったらどうしよう」
それは誰かに言われたわけじゃなく、自分の中から湧き上がってくる「焦り」や「罪悪感」でした。
目次
働いていない自分への否定感
立ち止まっていることが怖かった
周りの友人たちは、仕事に行き、家庭を持ち、前に進んでいるように見えました。
一方で私は、支援を受けながら、週に数日だけ通所して、あとは家で横になっている。
「何かしていないとダメになる」と思い込んでいた私は、その静かな毎日が逆に怖かったんです。
「何かしてるふり」をしたくなる衝動
とくに誰かに報告する予定があるわけでもないのに、SNSに“頑張ってますアピール”をしたくなる日もありました。
誰かに「認めてもらいたい」という気持ちと、「こんな自分じゃダメだ」という焦りが交差して、しんどさが倍になっていきました。
本当に必要だった「何もしない時間」
立ち止まるのは、壊れかけていたから
振り返ってみると、その頃の私は、まだ回復の途中でした。
心も体も、ようやく「最低限動けるようになった」という段階で、すぐに何かに取り組める状態ではなかった。
「止まっている」んじゃなくて、「休んでる」のだと、あとになってやっと気づきました。
何もしない時間が、次の力を溜めてくれていた
ゆっくり寝る日、だらだら過ごす日、散歩しかしなかった日。
そんな日々の積み重ねが、いつのまにか「ちょっと何かしてみようかな」という気持ちを育ててくれていたんです。
「何もしていない自分」も、大切な一部だった
自分に価値があると思えなかった日々
何かをしていないと、自分には価値がない――
そう思っていた私は、「存在するだけでいい」とはどうしても思えませんでした。
でも今は、あの「なにもしていなかった時間」が、次に動き出すために必要な“準備期間”だったんだと、心から思います。
焦らず、否定せず、少しずつ
「何もしない日があってもいい」
「その自分もちゃんと生きてる」
そう思えるようになってから、気持ちの波は少しずつ穏やかになっていきました。
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