障害がある自分にとって、「発信すること」はハードルが高く感じられました。
- 書いても誰の役にも立たないかもしれない
- 批判されたらどうしよう
- 曝け出すのがこわい
そんな思いが頭をよぎって、何度も「やっぱりやめよう」と思ったこともあります。
でも今は、「発信してもいい」と思えるようになった。その理由を、この記事にまとめておきたいと思います。
目次
① 「うまくいってる人」ばかりじゃないことに気づいた
ネットには、キラキラした成功体験が多く見えます。
でもよく見ると、「うまくいかなかった話」「悩んだ話」を書いている人もたくさんいました。
むしろそういう記事に、自分は何度も助けられてきました。
だったら、自分の“途中経過”にも価値があるのかもしれない。
そう思えたのが、最初の一歩でした。
② 誰かのためではなく、「自分の整理」のために書いた
最初は、「読まれること」よりも、「自分のために書く」ことを意識しました。
- 頭の中のモヤモヤを出す
- 何に困ってるのか整理する
- どうして落ち込んだのか言語化する
それだけでも、心が少し軽くなって、
「書いてよかった」と思える感覚が生まれました。
③ 誰かが「ありがとう」と言ってくれた
はじめて読者からメッセージが届いたとき、涙が出そうになりました。
「あなたの文章に助けられました」
「自分だけじゃないんだと思えました」
ああ、自分の発信にも意味があったんだ——
そう思えたとき、「書いてもいい」「発信しても大丈夫」と思えるようになりました。
④ 「経験」は、スキルや実績よりも響くことがある
スキルや知識がないと発信できない、と思っていた時期もありました。
でも、読まれた記事はたいてい、
- 病気の申請でつまずいた話
- 働けなかった日の気持ち
- 支援制度に救われた体験
のような、“体験ベースの話”ばかり。
専門家じゃなくても、リアルな経験談こそ、求められていると実感しました。
⑤ 「自分を肯定する場所」として使っていいと知った
ブログやnoteは、「何かを教える場」「利益を出す場」だけじゃない。
**「自分を認めるための場所」「自分の人生を記録する場所」**でもあります。
誰の許可もいらない。
うまく言えなくてもいい。
ただ、自分が発信してもいいと、自分で自分に許可を出す。
それがすべての始まりでした。
まとめ:
- 最初は怖くても、「発信してもいい」と思える日は必ず来る
- 経験には、それだけで価値がある
- 自分のために書くことが、誰かの支えになることもある
次回(第43回)は、「ネット副業が“自分の声を取り戻す場”になった話」をテーマにお届けします。
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