精神科の通院は、最初だけでなく、ずっと続くものです。
でも、診察日が近づくと、いまだに少し構えてしまいます。
今日は「それでも通い続けている理由」と、そこに込めている自分なりの意味について書きます。
行きたくない日の感情
診察が近づくと、頭の中でいろんなことを考えてしまいます。
「何を話せばいいのか」
「前回と変わってない気がする」
「また同じ話になるかもしれない」
そんなふうに思ってしまうと、行くこと自体がプレッシャーになってしまうこともあります。
通院を「気づき直す日」と捉える
それでも通っているのは、自分の状態を一度外に出して見直すきっかけになるからです。
医師に話すことで、「思ったより疲れていたんだな」とか、「この1ヶ月で変化があったんだな」と気づけることが多い。
自分だけで考えていると、ただモヤモヤが溜まっていくけれど、誰かに言葉にして伝えることで、それが“整理”に変わっていきます。
話すことがない日もあっていい
通院に慣れてくると、「今日はとくに話すことがない」という日も出てきます。
でも、そんな日でも「とくに何もなかった」と医師に伝えるだけで、意味があるのだと気づきました。
変化がない=安定していた、ということ。
それを確認できるだけでも、次の1ヶ月を安心して過ごせる材料になります。
通院は、自分にとっての“点検日”
病気とともに生きるということは、自分の状態を放っておかないことだと思います。
だから、通院は“状態の点検”のようなもの。
とくに不調があってもなくても、いまの自分を見つめ直す機会として、大事にしています。
無理に元気になる必要はない。
ただ、今の自分をそのまま診察室に連れていく。
それが、今の自分なりの「生きる技術」です。
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