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「“このくらい普通”ができないとき、自分を否定しすぎないために」

病気と生きる技術

人から見ればなんてことないようなことが、自分にとっては大仕事になることがある。
たとえば、朝起きて顔を洗って出かける。
メールを返信する。
洗濯物を干す——

「このくらい誰でもやってる」と思えば思うほど、できなかった自分を責めてしまう。
そんな日々を、私は何度も繰り返してきました。

できない日は、本当に“できない日”だった

体調が悪いときは、当たり前のことができなくなる。
でもそれは、怠けているのではなく、“そういう日”だっただけ。

私は、「このくらい」と思った瞬間に、「じゃあ本当に自分はそれを毎日確実にできるのか?」と問い返すようにしています。
その答えは、たいてい「いや、今日は無理だった」。
それなら責める必要はないと、自分に言い聞かせています。

「普通」は人によってまったく違う

社会が用意している“普通”に、自分を無理やり合わせようとすると、どんどん自分が小さくなってしまう。
それよりも、「自分にとっての普通」を少しずつ見つけていく方が、ずっと長く暮らしやすくなる。

私の普通は、たとえば「午後に起きてもいい」「返事は翌日でもいい」「ごはんが買ってきたものでもいい」。
それが自分に合っていれば、それでいい。

比べるなら、「昨日の自分」と

できなかった自分を責めるとき、たいてい誰かと比べている。
でも、他人と比べても仕方がない。
比べるなら、少しだけ前の自分と。

昨日より5分早く起きられた。
一昨日より落ち込む時間が短かった。
そんな小さな“変化”を拾っていくと、自分に戻れる。


「このくらい普通」は、誰かの物差し。
私にとっての普通は、私が決めていい。
できない日があっても、それを責めずにやり過ごす力も、“生きる技術”のひとつです。

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