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「調子よさそうだね」と言われた日こそ、内心はギリギリだった

病気と生きる技術

通院も続けているし、生活リズムも少し整ってきた。
表面的には、だいぶ「元気そう」に見えるのかもしれない。
でも、実はそういうときに限って、心の中は綱渡りだったりする。

「調子よさそうだね」「顔色いいね」
そう言われて笑って返すけど、
その笑顔の奥では「バレないように」と必死なときもある。


外から見える元気と、内側のしんどさは別もの

調子がよさそうに見えるのは、
たまたまその日は服を着て外に出られただけ。
たまたまその時間だけ、表情を作る余裕があっただけ。

「元気そうに見えたからって、本当に元気とは限らない」
この感覚は、経験しないとわかりにくいと思う。

でも、病気とともに生きていると、
“外向きの自分”と“本当の自分”の間にギャップがあるのは自然なことなんだと気づいてくる。


「見た目」で判断されることのつらさ

病気の重さや回復度合いを、見た目だけで判断されることがある。
それが悪気のない言葉だったとしても、
「今の状態が理解されていない」と感じると、孤独感が増す。

「元気そうでよかったね」
そう言われて、うれしいどころか返事に困った経験は、一度や二度ではない。


「ちゃんと元気になった」と見られることへのプレッシャー

少し動けるようになると、今度は「もう大丈夫だよね?」という空気を感じる。
そこからまた頑張りすぎて、体調を崩してしまうという悪循環。

私はその繰り返しのなかでようやく、
「元気そうに見えても、今はまだ回復の途中」と自分で線を引けるようになった。

他人に説明するのが難しいときもあるけれど、
せめて自分には、「まだ途中だよ」と言ってあげたい。


回復の道のりは、まっすぐじゃない。
見た目と心の状態が一致しない日もある。
でも、それも“ちゃんと回復している過程のひとつ”なんだと思うようになった。

だから私は今日も、「しんどいけど笑ってる自分」も、自分の一部として受け入れている。

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