一日ほとんど動いていないのに、なぜか体が重たい。
気を張っていたわけでもないし、人と会ってもいないのに、
夜になるとどっと疲れが出て、何もする気が起きない。
「なにに疲れてるんだろう」
そう思えば思うほど、自分の疲れが理解できなくなっていました。
目次
行動していないのに疲れる自分が許せなかった
誰かと比べたら、自分は全然頑張っていない。
外に出てもいない。作業もしていない。
そんな自分が「しんどい」と言っていることに、うしろめたさを感じていました。
まるで「疲れる資格もない」と思い込んでいたんです。
気づいたのは、“何もしないこと”にもエネルギーが必要だったということ
本当は、動かないことって、ものすごく神経を使っていた。
- 不安をやり過ごすためにずっと神経が張っていたり
- 意味もなく責める思考が頭の中をぐるぐる回っていたり
- 休むことにすら罪悪感がまとわりついていたり
外から見えないところで、心は休むどころかフル稼働していた。
だから、疲れて当たり前だったんです。
“疲れの原因”を探すのをやめたら、回復が早くなった
しんどいとき、「なぜ?」を突き詰めすぎると、かえって消耗する。
「これは疲れて当然の状態だった」と認めて、あえて原因を探さないようにしました。
そうすると、少しずつ「回復すること」に意識が向いていった。
“説明できる疲れ”より、“受け入れるだけの疲れ”のほうがラクになることもあると、私は学びました。
今は、「理由のない疲れ」もひとつの信号として受け止めている
「がんばってないのに疲れてる」=“今の私にとっては、普通”
そう考えるようになってから、気持ちがずいぶん軽くなりました。
大事なのは、疲れている自分に説明をつけることじゃなくて、
「疲れている」という状態をきちんとケアすること。
そう割り切ったとき、私はようやく“何もしていない日”を休息と呼べるようになりました。
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