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誰にも会いたくない日がある。それは悪いことじゃなかった

病気と生きる技術

玄関のチャイムが怖くなる。
スマホに通知が来るだけで、心臓がぎゅっと縮む。
話す元気はおろか、相手が存在するだけで疲れてしまう――
そんな日が、時々やってきます。

私は最初、それを「人間関係が苦手だから」だと思っていました。
でも今は、「それだけ心が疲れているサイン」として受け止めるようになりました。


いちばん大事なのは、“人と関わらない自由”を持っていること

誰かに会いたくないと思ってしまう自分に対して、
「冷たいんじゃないか」「感じが悪くないか」と責めていた時期がありました。
でもあるとき気づきました。

「関わりたくない」は、攻撃ではなく、自分を守る手段だったと。

人に会わない選択は、孤立ではなく、自分の境界線を整えること。
そう考えるようになってから、少しずつラクになりました。


私がやっている「誰にも会いたくない日」の過ごし方

  • 通知はすべてオフ
  • カーテンを閉めて光を減らす
  • 音の少ない時間帯に動く(早朝や夜)
  • 無理に返事をしない(後でまとめてでOK)
  • 「今日は会いたくない日」と自分に宣言する

こうやって、自分の“ひとりでいたい気持ち”に寄り添ってあげることで、
心が落ち着いていくのを感じます。


「また誰かと話せる日がくる」ことも、私は知っている

誰にも会いたくない日が続くと、
「もうずっと誰とも関われないんじゃないか」と不安になります。
でも何度もこの波をくぐり抜けてきた私は知っています。

「また話したくなる日」は、必ず来るということを。

今はただ、心のドアを閉めておく時期。
それが終われば、自然と風通しが戻ってくる。


無理に開くより、安心して閉じられる場所が必要だった

人との距離感を調整する力は、「逃げ」じゃなく「技術」だと思います。
私はそれを、病気になってから初めて覚えました。

誰かに会いたくないとき、自分の気持ちに素直になれるかどうか。
それが、自分を守るための小さな知恵になっています。

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