生活保護って、なんとなく「最後の手段」って感じがしませんか。
私もそう思っていました。
それどころか、「そこまでいったら終わりだ」と思っていた時期もありました。
だから、どんなに生活が苦しくても、「生活保護を受ける」という選択肢は、頭の中から外していました。
電気代の督促状が来た日もありました。
家賃を払えるかどうかで、不安で眠れない夜もありました。
通院のバス代すら、ためらうようになったとき、ふと「このままいったら本当にまずいな」と思いました。
でも、そのとき頭をよぎったのは
「それでも生活保護には頼りたくない」という、変なプライドのようなものでした。
たぶん、怖かったんです。
「働けない=無価値」
「制度に頼る=甘えている」
そういう考えが、自分の中に深く染みついていて、
役所に相談するということ自体が、「負け」みたいに感じていました。
実は、何度か生活保護について調べたことがあります。
どうやって申請するのか、誰が対象になるのか、どんな支援があるのか。
でも、調べれば調べるほど、
「やっぱり自分には関係ない」「まだ耐えられる」と思い込もうとしていました。
本音では、少し助けを求めたかったのに。
結局、私は生活保護を受けていません。
相談にも行けなかった。
けれど今は、「あれは“使ってもよかった制度”だった」と思っています。
生活保護って、本当は「甘え」じゃない。
「生きるための最低ライン」を守るためにある、大事なセーフティネット。
そして、一時的に利用して、また立ち上がるための制度でもあるんですよね。
当時の私は、そのことを知らなかったし、認められなかった。
そのせいで、必要以上に自分を苦しめていたのだと思います。
もしかしたら、いまこの記事を読んでいる誰かが、
「自分もそろそろ限界かもしれない」と感じているかもしれません。
そんなときは、どうか“制度を知る”という一歩を、ためらわないでほしいです。
相談するだけでもいい。
知るだけでも、自分を責める気持ちが少しやわらぐかもしれません。
私は制度を使いませんでした。
でも、いま思うのは「使ってもよかったんだ」ということです。
それを伝えたくて、この記事を書きました。
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