支援制度の案内を受けたとき、
私はありがたいと思った反面、すぐには動けませんでした。
一番の理由は――
「親に知られたら、きっと怒られる」という恐怖でした。
「頼るなんて情けない」と言われてきた
私の親は、“自力で生きること”を大事にする人でした。
「どんなに辛くても、人に迷惑をかけるな」
「制度なんて、恥ずかしい人が使うものだ」
子どもの頃から、そんな言葉を聞かされてきました。
だから私は、制度を使うことにどこかで「裏切り」のような罪悪感を抱いていた。
自分が親の期待を裏切るようなことをしてはいけない。
ちゃんと自立して、“普通の人”として生きなきゃいけない。
そう思い込んでいたんです。
親の考えは親のもの。私の現実は別にある
でも、私が抱えていたのは、
「親にどう思われるか」じゃなく、
「今の生活をどう守るか」という現実でした。
たとえ親が制度に否定的でも、
それで私の毎日が崩れてしまうなら、
何も意味がない。
支援は“誰のためにあるか”を考えた
私は、親の人生ではなく、自分の人生を生きている。
制度を使うのも、自分の生活を立て直すため。
そこに、他人の価値観を優先する理由なんてなかった。
まとめ:親がなんと言おうと、私は生きるために選ぶ
いまも親には全部話していない。
でも、少しずつ「私はこうやって生きてる」と言えるようになってきた。
親に認められることより、自分が生き抜くこと。
それが、私にとっての“正しさ”になった。
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