精神的にしんどくて、普通に働ける状態ではなかった頃。
主治医に勧められたのが「就労移行支援」という制度でした。
支援を受けながら就職を目指す──
聞こえはよかったけれど、親に話すと返ってきたのは、
「そんなの行って意味あるの?」という一言でした。
目次
就労移行=“福祉的ひきこもり”だと思っていた親
「そんなところに通ったって、結局まともな仕事につけないだろ」
「金も出ないのに、何時間も行くの?ムダだろ」
「働ける人間にならなきゃ意味がないんだよ」
親の頭には、「働く=正社員で稼ぐ」「福祉=落ちこぼれ」という考えがこびりついていました。
それを真っ向からぶつけられて、私は申し込みを断念しました。
今思えば、制度そのものじゃなく“親の価値観”が重かった
自分でもどこかで、
「そんなのに頼ったら、もう戻れなくなる」
「社会から外れた証明みたいでイヤだ」
という気持ちがありました。
でも、それ以上に重かったのは、
親の目。親の期待。親の“常識”。
制度は使わなかった。でも、自分で“使える制度”を探した
就労移行支援はあきらめたけど、
「支援そのもの」を否定したわけじゃありません。
私はその後、自立支援医療や就労継続支援A型といった制度に目を向けました。
A型作業所は雇用契約があるため、親にも「一応仕事してる」と伝えやすく、
自分としても社会に繋がれている実感が持てました。
あのとき制度をすべて否定していたら、もっと孤立していた
就労移行支援という選択肢は使わなかったけど、
「他の制度を使っていい」と思えたこと自体が大きかった。
親に反対されたからといって、すべてを諦める必要はない。
制度はひとつじゃない。道は一通りじゃない。
まとめ:「親に反対されたから諦める」ではなく「別の形で前に進む」
たしかに、就労移行支援は使わなかった。
でもそれは、「前に進むのをやめた」わけじゃなかった。
親の言葉に影響されてもいい。
でも、自分の命や暮らしは、自分で守るしかない。
制度にはいろんな形がある。
たとえ一つの道を諦めても、他の道で前に進めることもある。
そう思えた経験でした。
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