長い間、「働く」という言葉が苦手でした。
聞くだけで胸が苦しくなったし、誰かに「仕事は?」と訊かれるのが怖かった。
でもある日、ふと心の中に芽生えたんです――
「もう一度、働いてみたいかも」と。
それは、がんばろうという意気込みではなく、
「もう一度、人と関わって、自分の力を使ってみたい」
という、ごく小さな“希望”のようなものでした。
目次
ずっと「働かなきゃ」に縛られていた
社会から取り残されたような感覚
制度を使って休んでいる間、世の中のスピードだけがどんどん進んでいる気がしました。
ニュースで見る“人手不足”や“副業ブーム”が、遠い世界のことのように思えて、「自分はもう戻れないのかもしれない」と感じていた時期もありました。
働けない自分への怒りとあきらめ
「働かなきゃ」と思いながら、体も心もついてこない日々。
周囲からの目を気にして、制度を使っていることも隠して、余計に苦しくなっていた時期もありました。
「少しやってみようかな」と思えた瞬間
誰かの「ありがとう」が嬉しかった
就労支援の作業中、「それ助かります、ありがとう」と言われたことがありました。
その一言が、ずっとくすぶっていた“役に立ちたい気持ち”に火をつけてくれた気がします。
「働く=苦しいこと」だったはずなのに、そのときは、「もう少しやってみたいな」と思えました。
しんどくない働き方もあると知った
フルタイムじゃなくても、在宅じゃなくても、短時間でも。
「自分にできる範囲での働き方」があると知ってから、急に気持ちが軽くなりました。
「全部やらなきゃ」じゃなく、「できるところからでいい」という選択肢があることが、何よりの希望でした。
「働きたい」は、焦る材料じゃなくて希望のしるし
焦らず、踏み出せばいい
「働きたいと思った」からといって、すぐに動かなくてもいい。
むしろ、その気持ちが自然に湧いてきたことこそ、長い回復の道のりの中での大きな一歩なんだと思いました。
働くこと=つながること、でもあった
誰かと関わること。役割を持つこと。
それは、生活のリズムだけでなく、心の安定にもつながっていきます。
「働く=社会に戻る」ではなく、「働く=自分を取り戻す」こと。
そんなふうに思えたことが、再スタートのきっかけでした。
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