当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

制度を“受け入れる”までに、どうしてこんなに時間がかかったのか

社会と制度を生き抜く知恵

制度の存在は、知っていた。
でも、実際に使うまでには、長い時間がかかった。

人によっては「もっと早く申請していれば」と思うのかもしれない。
でも当時の私は、それができなかった。
知識じゃなく、感情の問題だった――“受け入れること”が、なかなかできなかったのだ。


頭ではわかっていた。「必要なもの」だってことは

情報としては、制度のことを知っていた

役所に行けば申請できるらしい。
条件を満たせば、医療費や交通費が軽くなる。
そんなことは、ネットを検索すればすぐに出てきた。

でも、「必要な人が使うもので、自分にはまだ早い」と思っていた。
なにより、「本当に使ってしまったら、もう戻れない」と感じていた。


“制度を使う=負け”という思い込みがあった

頼ったら、自分が壊れてしまう気がした

当時の私は、ギリギリの自尊心で生きていた。
どれだけ苦しくても、「自分はまだ一線を越えてない」と信じていた。
制度に手を伸ばすことは、「自分が“終わった人間”になるような気がして」、どうしても踏み出せなかった。

世間の目を、自分の内側に取り込んでいた

誰もそんなこと言っていないのに、勝手に「ずるいと思われる」「甘えていると思われる」と考えていた。
他人の目というより、それを恐れている自分自身の“価値観”が、いちばん重かった。


それでも、受け入れる決断をした日

「限界までがんばった」と思えた瞬間があった

あるとき、何をしても体が動かなくなった。
ご飯を食べるのも、風呂に入るのも、誰かと連絡を取るのもできなかった。
「これ以上、どうがんばればいいのか」
そう思えたとき、ようやく「もう制度に頼ってもいい」と思えるようになった。

自分を“支える側”から、“支えられる側”に許した

「人に頼るなんて恥ずかしい」と思っていた私が、「今は支えられる側でいい」と受け入れられたとき、はじめて申請に動けた。
本当の意味で“受け入れる”というのは、制度じゃなく、“頼ってもいい自分”を認めることだったのかもしれない。


まとめ:受け入れるには、時間がかかってもいい

制度を使うことは、情報や手続きの話だけではない。
自分の中のプライド、価値観、罪悪感――いろんな感情との付き合いでもある。

私は時間がかかった。
でもその時間は、無駄じゃなかった。
悩み抜いた末に出した「使ってみよう」という決断だったからこそ、今も罪悪感なく制度と付き合えている。

誰だって、受け入れるまでに時間がかかることがある。
それでもいいし、むしろそれが自然なのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました