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「制度に救われた」けど、感謝しすぎて自分を小さく感じてしまった

社会と制度を生き抜く知恵

制度を使ったことで、たしかに助かった。
バス代がタダになり、通所先が見つかり、毎日が少しずつ整ってきた。

けれど、あるときふと気づいたんです。
「私は今、感謝しすぎて、自分の存在を小さくしていないか?」と。

もちろん、制度があるおかげで生活が成り立っている。
だけど、それが「だから私は何も言っちゃいけない」「申し訳ない人間だ」になってしまうと、
今度は自分を消してしまう方向に向かってしまう気がしたのです。


「支えてもらっているから、文句を言ってはいけない」

制度を使い始めたころ、私の中には“恩返ししなきゃ”という気持ちが強くありました。
通院助成、割引、手帳の効力……
その一つひとつに感謝するたびに、「私は支えられている」という意識が大きくなっていきました。

でもそれはやがて、「感謝してるんだから、不満を持っちゃいけない」
「迷惑をかけちゃいけない」「わがままは言えない」という思考に変わっていきました。


自分の存在が“おまけ”みたいに感じるとき

通所先で、支援員さんに頭を下げながら「すみません」と何度も言っていたり、
手帳のおかげでバスに乗るとき、「申し訳なさそうな顔」をしていたり。

ある日、ふと思ったのです。
「これじゃあ、制度に“生かされてる人間”みたいじゃないか」と。

支援してくれる人たちは、誰も「小さくなれ」なんて言ってない。
でも、自分のなかで勝手に「遠慮しなきゃ」「期待されないほうがいい」と思ってしまっていた。


制度に感謝することと、自分の価値を下げないことは両立できる

制度に助けられたことは事実です。
そのありがたさを忘れたくない。

でも、それと「私は価値のない人間だ」と思い込むのは、別の話。
支えられてもいいし、遠慮しすぎなくてもいい。
自分をちいさくしなくても、感謝は伝えられる。

むしろ、自分の力を取り戻していくことが、本当の意味での“制度の活かし方”なのかもしれません。


まとめ:「ありがとう」は、もっと自信を持って言っていい

感謝は、人を前向きにする力を持っています。
でも、それが“自分を下げる言葉”になってしまっては、本末転倒。

私は、制度に「ありがとう」と言いつつ、
同時に「私はここにいていい」と思えるようになりたい。

支えられていることに、誇りを持てるようになりたい。
それが、“制度と共に生きる”ということの、本当の意味だと思っています。

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