支援制度を使っていることを、
どこまで誰に話すべきか、いまでも悩むことがあります。
手帳を持っていること、通所していること、働けない時期があったこと。
これらを伝えるたびに、
「誤解されるんじゃないか」っていう怖さがつきまといます。
目次
なぜか、「ズルしてる人」だと思われそうで
「制度を使ってる=働く気がない」
「支援を受けてる=社会に甘えてる」
そんなふうに思われたらどうしよう、と怯えていました。
実際、誰にもそんなことを言われたわけじゃない。
でも、社会の空気のなかにある“目に見えない偏見”が、
いつもどこかで自分を追い詰めていました。
「説明しないと誤解される」ことに疲れてしまう
たとえば、通勤ラッシュを避けてゆっくりバスに乗っているだけで、
「サボってる」と思われるんじゃないか、と周囲の視線が気になる。
バス代が無料なのに、普通に乗っていると「なぜ?」と見られた気がして、
つい、手帳を見せる手をモタつかせてしまう。
何気ない日常のなかに、「誤解を恐れる気持ち」がいくつも紛れ込んでいたんです。
でも本当は、堂々としていていいはずなのに
制度は、社会が用意した“正当な選択肢”です。
使っている人が後ろめたさを感じるようなものではない。
そう頭では分かっていても、
「説明しないと理解されない」というプレッシャーがあると、
心はどんどん小さくなっていきます。
制度の「存在意義」を語るのは、使っている人自身しかいない
誤解を怖がって黙っていると、
結局は“制度を使ってる人の姿”が社会に見えなくなってしまう。
そうすると、「あの人たちはどこか遠い世界の人」という偏見が生まれる。
だから私は少しずつでも、自分の言葉で伝えようと思っています。
「制度を使っている人=ずるい人」じゃない。
むしろ、現実を直視して、一歩踏み出した人たちだと。
まとめ:偏見に説明で対抗するのは苦しい。でも、その先に“理解”がある
正直、誤解を怖がる気持ちは今もあります。
でも、「言葉にすること」は無駄じゃない。
説明するたび、疲れるたび、
そのぶんだけ「制度を使ってる人の現実」が、世の中に少しずつ浸透していくと信じたい。
だから今日も、小さな言葉で、自分の立場を伝えてみるのです。
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