ずっと、「がんばることが正しい」と思って生きてきました。
人に頼らず、自分でなんとかする。
弱音を吐かずに、できるだけ普通を装う。
でも、制度を使うようになってから、
その“正しさ”が、自分を追い詰めていたと気づいたんです。
目次
「がんばりきれなかった」自分に、罪悪感があった
体調を崩して、働けなくなって、
支援を受けるようになった当初、
私は自分を“失格者”のように感じていました。
「みんな頑張ってるのに」
「なんで自分だけ制度に頼るんだろう」
そう思いながら、肩身の狭い気持ちで通所していました。
でも、制度の中で出会った人たちは、「自分を責めていなかった」
同じように支援を受けている人たちは、
もっと自然に制度を使っていて、
堂々としていて、笑っていて。
最初は驚きました。
「制度を使ってても、こんなふうに生きてていいんだ」
その姿が、凝り固まった私の価値観を少しずつ溶かしてくれました。
「がんばらないと生きていけない」は、ひとつの呪いだった
もちろん、努力や忍耐はときに必要です。
でも、それが“常に必須”になると、心も体も壊れていきます。
制度を使うことで、私は初めて「休むこと」や「頼ること」に意味があると学びました。
それは、ただ甘えることとは違って、
自分の命や生活を守るための“選択”だったのです。
今では、「制度を使ってる自分」に誇りすら感じている
最初は、恥ずかしさと抵抗感がありました。
でもいまは、「制度を使う」という行動自体が、
自分を見捨てずに守ろうとした証だと思っています。
支援を受けて、回復して、少しずつ前を向けるようになったこと。
それは、「がんばる」のとは違う形の強さでした。
まとめ:「がんばり」だけじゃなく「支え合い」も生きる力になる
社会の中には、「がんばった人が偉い」という空気があります。
でも本当は、「がんばれないときに、誰かに頼れる人」もすごい。
制度を使った経験は、そんな視点の変化をもたらしてくれました。
それだけでも、私は制度を使ってよかったと心から思います。
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