「いつかは卒業しなきゃ」
「ずっと頼っていてはダメなんじゃないか」
そう考えたことが何度もあります。
でも現実には、私はいまも支援制度を使い続けています。
やめたことがない――それは、恥ずかしいことでも、間違ったことでもありません。
むしろ「継続的に支援が必要な人が、支援を受け続けられている」ことこそ、
制度が本来の役割を果たしている証だと思うようになりました。
目次
使い続けているからこそ、生活が安定してきた
支援制度を使っていると、
「いつまで通ってるの?」「もう慣れたんじゃないの?」
という空気を感じることもあります。
でも私の場合、ようやく生活のリズムが安定してきたのは、
制度を継続して使えているからでした。
・通所のリズムが気持ちを整えてくれる
・対話の機会が孤立を防いでくれる
・収入がゼロにならずに済んでいる
短期間で結果を出すのではなく、「続けること」自体が回復につながっていると感じます。
「やめる・続ける」で悩んだとき、こう考えている
「もう頼らなくても大丈夫かもしれない」
そんなふうに思う日もあります。
でも私は、「困ったときに戻れない場所にしない」という前提で、
あえて支援を“手放さない”選択をしています。
それは、「依存」ではなく、「準備と安心のための継続」だと思っています。
「やめていないからこそ、見えてきたこと」もある
長く制度を使っているからこそ、
自分の得意・不得意、日々の変化、他人との付き合い方など、
“回復のゆらぎ”に気づきやすくなってきました。
これは短期的な訓練では得られなかったことです。
だから私は、制度を継続的に使うことにも、大きな意味があると思っています。
まとめ:支援をやめないという選択も、立派な「自立」の形
制度をやめる=前進
制度を続ける=後退
…ではありません。
むしろ「制度にアクセスし続ける力」こそが、
社会の中で生きていくための知恵なのかもしれません。
私は、自分のペースで、支援を使いながら暮らしている。
それだけで、十分に「やっている」と言っていいと思っています。
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