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「助けて」と言えなかった頃、自分を守っていた習慣

社会と制度を生き抜く知恵

支援制度に出会う前、
私はずっと「助けて」と言えませんでした。

迷惑をかけたくない。
甘えていると思われたくない。
何より、自分でも何がつらいのかわからなかった。

そんな時期に、私をギリギリのところで支えていたのは――
制度でも他人の助けでもなく、“自分で見つけた習慣”でした。


一人で過ごす時間を「聖域」にしていた

誰にも会わない、話さない時間。
当時はそれが“逃げ”に思えて、罪悪感もありました。

でも今思えば、外の音を遮断して、自分を取り戻すために必要な時間でした。

・カーテンを閉めて、静かな部屋にこもる
・誰にも連絡せず、気力が湧くまで寝る
・お気に入りの音楽だけを流し続ける

それは「なにもしない」ことじゃなくて、
“自分を守るためのアクション”だったと、今なら言えます。


朝と夜の“決まりごと”をつくることで不安を減らしていた

生活がぐちゃぐちゃになっていた頃でも、
いくつかの“儀式”のような行動だけは崩さずにいました。

たとえば、

  • 朝、起きたら白湯を飲む
  • 夜、布団に入る前に5分だけ深呼吸する
  • 外に出られない日も、窓を開けて空気を入れ替える

誰にも話したことがないような、小さな習慣ですが、
それが「何もかも崩れてしまう感覚」から自分を引き戻してくれていたのです。


「誰かに話す」はできなかった。でも「自分に話す」はしていた

当時は、人に頼ることも、気持ちを吐き出すことも難しかった。

でも、不思議と、心のなかで自分に話しかけることはしていました。

「今日はきつかったね」
「これだけできただけでもすごい」
「もうちょっと頑張ってから、ゆっくり休もう」

それは、自分で自分にかける“精一杯の励まし”でした。
そしてこの独り言が、孤独のどん底で自分を保つ唯一の方法でもありました。


まとめ:「助けを求める前に、助けていた自分」に気づいた

今は制度を使って支えられながら生きています。
でも振り返ってみると、制度に出会う前にも、
自分なりに「生き延びる術」を見つけていたことに気づきました。

助けを求めるのは難しかった。
でも、助けられるのをただ待っていたわけじゃなかった。

見えない努力を続けていたあの頃の自分に、今は「ありがとう」と言いたいです。

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