僕は今、彼女と一緒に暮らしています。
収入は月9万円。障害年金も受けていません。
金銭的に見れば、決して安定しているとは言えません。
それでも、「2人で暮らす」という選択をしてよかったと思える瞬間が、日常の中にはたくさんあります。
この記事では、お金では測れない“暮らしの実感”について書いてみたいと思います。
目次
体調が悪い日に、誰かがいるという安心感
気分が沈んで、動けない日。
声を出すのもつらい日。
そんなときに、何かをしてくれるわけではなくても、「誰かがいる」というだけで救われることがあります。
ひとりだと、調子が悪いときほど“孤独”が重たくのしかかってきます。
でも今は、「声をかけられる人がすぐそこにいる」という安心感があります。
「ただいま」と言える場所ができた
A型事業所から帰ってきて、鍵を開けて、部屋に入る。
そのときに「おかえり」と言ってもらえることが、想像以上にうれしかった。
1人暮らしをしていた頃は、帰宅しても誰もいない静かな部屋に、逆に疲れが溜まっていた気がします。
人と暮らすというのは、「帰る場所が感情を持つこと」なのかもしれません。
「なんとかしよう」と思える気持ちが生まれた
お金がない状況は変わらないけれど、彼女と一緒に暮らすようになってから、「この生活を続けたい」「もっと良くしたい」という気持ちが生まれました。
ひとりのときは、どこかで「どうでもいい」と思っていた部分もあったけど、
今は「ちゃんと暮らしたい」と自然に思うようになっています。
それが、生活を続けるモチベーションになっているのは間違いありません。
無理して笑わなくていい日常
気を張らずに過ごせる相手といるとき、自分の中に“安心できる居場所”ができます。
会話がなくても気まずくならない。
沈黙を共有できる。
そんな関係があることで、外で疲れても、家では力を抜けるようになりました。
節約生活はたしかに大変ですが、無理して楽しまなくてもいいという安心感が、僕にとっては何より大きいです。
「お金がない暮らし」は、「大切なものが見える暮らし」でもある
贅沢はできないし、外食も旅行もほとんどできません。
でも、その分だけ「何を優先したいか」がはっきり見えるようになりました。
・食事を一緒にとる時間
・会話のテンポ
・体調への理解
・何もない日を一緒に過ごす安心感
それらは、お金があるかどうかとはまったく別のところにあるものです。
まとめ
- 体調が悪い日に「誰かがいる」と思えることが安心につながる
- 同棲は「帰る場所に感情が宿る」ような体験になる
- お金がないからこそ、「本当に大切にしたいもの」が見えてくる
- 気を張らなくていい日常は、心を立て直す土台になる
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