かつて、「何かにお金を使うこと」そのものに、どこか引っかかりを感じていた時期がありました。
それは単に「節約しなきゃ」という意識よりもずっと根深くて、「この支出、本当に許されるんだろうか」という、答えの出ない問いと向き合っているような感覚。
今回は、お金にまつわる“使ってはいけないような気持ち”について、自分なりに考えたことを書いてみます。
「節約しなきゃ」ではなく「許されない気がする」
障害があると、どこかで“遠慮グセ”のようなものが身についていく気がします。
支援を受けていたり、十分に働けていない自分が、「楽しみ」のためにお金を使うこと。
それを「甘え」や「贅沢」と感じて、自分で自分を縛ってしまっていた時期がありました。
たとえば、1,000円のランチ。
たとえば、ちょっと気分を上げるための雑貨。
それを買うたびに、「これ、本当に今の自分が使っていいお金なのか?」と、頭の中に誰かの声が響いてくる。
誰かに責められたわけじゃないのに、勝手に縮こまってた
家族や周囲の人に何か言われたわけではないのに、
自分の中で「お金を使う=悪いこと」「何かを楽しむ=後ろめたいこと」という図式ができていた。
支援を受けている、収入が少ない、働ける時間が限られている。
そういった“できていないこと”があることで、どんどん「権利感覚」が薄れていく。
結果として、何を買っても、「必要最低限じゃないとダメ」という気持ちに支配されていた。
「使ってよかった」と思える経験が、少しずつ変えてくれた
そんな気持ちを変えてくれたのは、「これは使ってよかった」と思える体験の積み重ねでした。
・その日カフェで一息つけたことで、午後を崩さずに乗り切れた
・新しく買ったものが生活を楽にしてくれた
・気持ちが安定したことで、人との関係まで少しラクになった
「お金は、“回復”のためにも使っていい」と思えるようになってから、少しだけ使い方が変わってきたように思います。
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