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病気と生きる技術

病気と生きる技術

病気のことを話さない。それが私にとって最善だった場面もある

病気とともに生きていると、「どこまで周囲に伝えるか」をいつも考えることになります。言った方がラクになることもある。でも私は、あえて“言わない”ことを選んでよかった、と思う場面も経験してきました。「話せばわかってもらえる」とは限らない最初の頃...
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朝がいちばんつらいなら、それを前提に暮らしていい

私にとって、いちばん苦手な時間帯は「朝」です。目が覚めた瞬間から心が重くて、体がついてこない。よく「1日の始まりは希望の時間」と言われるけど、私は逆に「朝ほど絶望を感じる時間はない」と思っていました。「朝を乗り越えよう」とするほど、しんどく...
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原因がわからない不調に、一番ふりまわされていた時期がある

何かがあったわけじゃない。誰かに傷つけられたわけでも、体調を崩したわけでもない。それなのに、朝からなにもかもつらくて動けない。そういう「理由のないしんどさ」が、私はいちばん苦手でした。原因がわからないと、「甘えてるだけじゃないか」と思ってし...
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がんばってないのにしんどい。そんな自分に、罪悪感を抱いていた

ベッドの中で一日を過ごした日。誰とも会っていないし、何かを成し遂げたわけでもない。むしろ“何もしなかった”に近い。でも、心も体もしんどい。そんなとき私は、「がんばってもないのに、なぜ疲れてるんだろう」と自分を責めていました。それが、いちばん...
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またこのパターンか、と思った瞬間にブレーキをかけられるようになった

何度も繰り返す落ち込み。同じような思考、同じような感情。前は、それに気づかずに毎回のまれていました。でもあるときから、少しだけ距離を置けるようになってきました。「あ、これ、前にもあったやつだ」そう思えた瞬間、ブレーキがかけられるようになった...
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また落ちてきたかも――そう感じたとき、私がやること

長く療養生活をしていると、なんとなく自分の波が見えてきます。「あれ、これ前にも感じたぞ」「この感じ、前に落ちていったときと似てる」そんなふうに、落ち込みの“前兆”に気づけることが少しずつ増えてきました。そして、私はその瞬間に“やること”を、...
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気分が落ちていることに、自分で気づけるようになった日

以前の私は、気分が落ちていてもそれに気づくことすらできませんでした。「なんか調子悪い」「全部がイヤだ」その正体が“落ち込み”だと理解できるようになるまで、時間がかかりました。でも今は少しずつ、「あ、今ちょっと沈んでるな」と言語化できるように...
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休んだのに元気が戻らない。そんな自分に言い聞かせていること

何日も横になって休んだ。睡眠もとったし、外にも出てない。なのに、体も心も重たいまま。「これだけ休んだのに、どうしてまだしんどいんだろう」「いつまでこんな状態が続くんだろう」そんなふうに思って、自分にイライラしてしまうことが、私はよくあります...
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「調子よさそうだね」と言われた日こそ、内心はギリギリだった

通院も続けているし、生活リズムも少し整ってきた。表面的には、だいぶ「元気そう」に見えるのかもしれない。でも、実はそういうときに限って、心の中は綱渡りだったりする。「調子よさそうだね」「顔色いいね」そう言われて笑って返すけど、その笑顔の奥では...
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何もしていない日がつらいとき、私は“何もしなかった記録”を残している

今日も、これといって何もしていない。どこにも出かけなかったし、誰とも会話していない。やろうと思っていた家事も手をつけられなかった。気づけば夕方になっていて、「自分って、本当にダメなんじゃないか」と思うことがあります。でも私は、そういう日をた...