病気が長引いて、働けなくなった頃。
障害者手帳を取って、A型事業所に通いはじめた頃。
毎日のように思っていました。
「こんなんで、やっていけるのか」
「将来どうするんだ」
「この生活の先に、何かあるのか」
でもある日、ふとしたことで、
「このままでも、大丈夫かもしれない」と感じられた瞬間がありました。
今回は、その小さな出来事と、心の変化について書いてみます。
きっかけは、何も起こらなかった“普通の日”
ある月の終わり。
家賃も払えて、食費も収まって、通院もちゃんと行けた。
仕事はいつもどおり。体調も崩れなかった。
何も特別なことが起こらなかった月末の日に、
「なんだ、ちゃんと生きてるな」って、ふと思ったんです。
「特別じゃない」=「安心の積み重ね」
以前の僕は、「普通の生活」なんて遠い世界のことだと思っていました。
でも実は、
- 朝、決まった時間に起きる
- 体調に合わせて仕事をする
- ごはんを食べて、風呂に入って、眠る
このルーティンができている日常は、十分“ちゃんとしてる”と気づいたんです。
他人の基準を一回手放した
「もっと働けるはず」
「もっと収入を増やすべき」
「このままじゃだめだ」
そうやって焦っていた頃は、“自分の現実”よりも、“世間の理想”を優先していたのかもしれません。
でも、今の生活が破綻していないなら、それはもう「大丈夫」なんじゃないか。
そう思えるようになって、自分の基準で生きる感覚が育ってきました。
安定している=進んでいない、じゃない
A型での月9万円、ゆるやかな暮らし。
表面的には「変わってない」ように見える日々です。
でもその中には、
- 毎月の支出を調整する工夫
- ブログを書く力を少しずつ伸ばしている実感
- 支援制度を理解して、自分で動ける力の積み重ね
見えない「前進」が、確かにあると気づけたとき、「このままでもいい」と思えました。
まとめ
- 「このままでいいのか」と思う気持ちは、障害や低収入の中でよくあるもの
- でも、特別なことがなくても、崩れずに暮らせているなら、それは十分な成果
- 他人の基準ではなく、自分のリズムで生活できていることに価値がある
- 見えにくい変化や積み重ねも、「ちゃんと生きている証拠」になる
- 「このままでも大丈夫」という感覚は、安心の積み重ねから生まれる
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