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制度に頼っていても「依存してる」とは思わなくなった理由

障害×お金のリアルな選択肢

障害者手帳、医療費の助成、就労継続支援A型……
僕の生活は、いろいろな制度に支えられています。

以前の僕は、それを「甘え」と思っていた時期がありました。
「こんなに制度を使ってていいのか」「自立してないんじゃないか」と、自分を責める気持ちもありました。

でも、今では制度を使うことは“依存”ではなく、“選択”なんだと思えるようになってきました。

今回は、その心の変化について書いてみます。


「制度=弱さ」だと思っていた

20代のころ、病気が重くなったときも、なるべく人に頼らずに生きようとしていました。
助けを求めるのが怖かったし、制度を使うことは「負け」だと思っていたんです。

「制度に頼ったら、もう戻れない」
「人からどう思われるだろう」
そんな不安がずっとありました。


でも、制度は「支え」ではあっても「支配」じゃない

実際に障害者手帳を取得して、医療費が軽減されて、A型事業所で働くようになって──
やっと気づきました。

制度は、“使うかどうか”を自分で決められるツールにすぎないということに。

誰かに命令されたわけでも、依存を強制されたわけでもなく、
「自分の意志で、必要だから使っている」それだけなんです。


「制度を使っている人」=「社会とつながっている人」

障害者手帳でバス代が無料になる。
A型事業所で最低賃金が保証される。
医療費の一部が助成される。

こうした制度は、「社会にいらない人への配慮」ではなく、「社会の一員として認められている証」なんじゃないかと、今では思っています。


支援があっても、「選んで行動している」のは自分

制度の中で働くことも、病院に通うことも、支援機関と関わることも、
最終的に「どう動くか」は自分で選んでいます。

制度を活用するというのは、「丸ごと他人に任せる」ことじゃなくて、
「自分の行動に責任を持つための補助輪」のようなものかもしれません。


依存ではなく、共に生きるための“道具”だと思えた

制度に頼っていることを「依存」と呼ぶなら、
誰だって電気や水道に依存してるし、通勤電車にも依存している。

それと同じで、制度は「必要な人が必要なときに使える仕組み」なだけ。

自分を責める理由にはならない。
そう思えるようになってから、気持ちがずいぶんラクになりました。


まとめ

  • 制度を使うことに罪悪感を抱くのは自然。でも、それは「依存」とは違う
  • 制度は「自分の意思で使える道具」であり、「支配されるもの」ではない
  • 制度を使うことは「社会とつながって生きている証」でもある
  • 自分で選んで、自分で行動している限り、それは立派な「自立」
  • 制度は“甘え”ではなく、“共に生きるための補助輪”のような存在

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