制度や支援というのは、ありがたい存在です。
でもそれが「終わる可能性のあるもの」であることも、どこかで分かっていました。
- 手帳の更新に通らなかったら
- 医療費助成がなくなったら
- A型事業所が終了になったら
そんなとき、「すべてが終わる」と感じるのは自然なことだと思います。
でも僕は、いくつかの支援が終了したとき、それを“喪失”とは捉えませんでした。
それには、いくつか理由があります。
目次
1. 終わっても、得たものは消えない
以前、ある制度の対象から外れたことがあります。
「もうこの支援は使えません」と言われたとき、最初は正直、不安でいっぱいでした。
でもよく考えてみると、その制度を使っている間に得た経験や習慣は、ちゃんと自分の中に残っていたんです。
たとえば:
- 通院のペースが整った
- 支援者とのやりとりに慣れた
- 書類や申請の流れが理解できた
支援が終わっても、それまでに積み上げた“自分の力”はなくならない。
これは大きな支えになりました。
2. 「次に使えるもの」を探す力がついていた
支援がひとつ終わったとき、僕は自然と「じゃあ次に何が使えるか?」と考えていました。
制度って、ひとつだけじゃないんですよね。
障害者手帳が使えなくても、地域独自の福祉制度があることもある。
医療費助成が切れても、高額療養費制度が使える場合もある。
「調べる」「問い合わせる」「動いてみる」
この流れを知っていること自体が、自分の財産になっていました。
3. 支援が終わっても、「人とのつながり」は残った
制度そのものは終了しても、関わってくれた人たちとのつながりがすぐに切れるわけではありません。
むしろ、
- 相談した支援者から別の窓口を紹介してもらえた
- 連携機関に繋いでもらえた
- 「また何かあれば連絡してください」と言ってもらえた
“支援”は終わっても、“関係”は終わらなかった。
これが、すごく安心につながりました。
4. 「支援は永続しないもの」と割り切ることで自由になれた
一時期、「この支援が一生続いてくれたら」と願ったこともあります。
でも、支援というのは基本的に「状況によって変わるもの」。
だからこそ僕は、「これはいま使える道具。ずっとある前提では動かない」と心に決めています。
それが逆に、「なくなったときにどうするか?」を先回りして考えられる余裕にもなりました。
まとめ
- 支援が終わっても、それまでに得た習慣や経験は自分の中に残る
- 支援を使ってきた経験が、“次の制度”を探す力になる
- 制度が終わっても、人とのつながりは案外続く
- 「支援は一時的なもの」と思うことで、かえって心が安定する
- 支援の終了は“喪失”ではなく、“転換”と考えることができる
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