目次
はじめに
恋人がいる、家族がいる、話せる人もいる。
それでも、どうしようもなく気分が沈む日があります。
「こんなに恵まれているのに、なんでつらいんだろう」
「甘えてるだけじゃないのか」
僕自身、何度もそうやって自分を責めてきました。
この記事では、「誰かがそばにいても苦しいとき」の心の持ち方について、僕なりの体験と視点をお伝えします。
支えがあるのに苦しい——それは自然なこと
「幸せのはずなのに」という罪悪感
人に恵まれていると、自分の不調や落ち込みを「贅沢な悩み」と感じてしまいがちです。
でも、心の疲れや病気は、環境だけではどうにもならないことがあります。
誰かがそばにいても、気分が落ちるのは決して「わがまま」でも「弱さ」でもありません。
愛されていても、自分を愛せない日がある
僕には大切にしてくれる人がいます。
それでも、「自分には価値がない」「生きている意味がない」と感じる日があります。
そういうとき、他人の愛情では埋まらない「自己肯定感の穴」が心の奥にあることに気づきました。
僕が実践している「心が沈んだ日の過ごし方」
① 「感謝」と「つらさ」を両立させる
「支えてくれてありがたい」と思っている自分と、
「でも今日は動けない、何もしたくない」と思う自分。
どちらも、同時に存在していていい。
「ありがたく思えない自分」を責める必要はありません。
② 気持ちをパートナーに全部伝えようとしない
調子が悪いとき、「全部話さなきゃ」「わかってもらわなきゃ」と力が入りすぎて、うまく伝えられずに疲れてしまうことがあります。
僕は、「今日はちょっとしんどいかも」「言葉にならないけど、そばにいてくれるだけでうれしい」
そんなふうに、“今の状態”だけ伝えるようにしています。
③ 「自分との関係」を整える時間をつくる
他人と良好な関係を築いていても、自分との関係が崩れているときは、何をしても満たされません。
僕は、ほんの5分だけでも「自分だけのための時間」(好きな音楽・日記・散歩など)を意識的にとるようにしています。
その時間が、自己肯定感の“栄養補給”になります。
おわりに:そばに誰かがいても、苦しい日はある
パートナーがいることは、心の支えになる一方で、「それでもしんどい自分」に罪悪感を抱かせることもあります。
でも、誰かの存在と、自分の苦しさは“別物”です。
あなたの心の痛みは、「条件つきのもの」ではありません。
支えがあっても、つらいものはつらいし、その感情はちゃんと認められていいんです。
どうか、自分の感情に「わかるよ」と言ってあげてください。
それが、優しさのはじまりです。
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