精神科に通っていても、診察のときに「うまく話せない」と感じることがある。
体調のせいか、頭が働かない。自分の気持ちがまとまらない。
診察室で沈黙してしまい、「何をしに来たんだろう」と落ち込む——そんな経験を、私は何度もしてきました。
でも、最近は「話せない日があってもいい」と思えるようになってきました。
話せない日は「準備不足」ではなかった
以前は、「ちゃんと話す準備をしておけばよかった」と自分を責めていました。
でも、そもそも言葉にならない状態の日だってある。
そういうときに、自分を責めても余計つらくなるだけでした。
今では、話せないのは「症状のひとつ」だと受け止めています。
話せなくても伝わる手段を用意する
診察に行く前、気力があるときは、メモを持っていくようにしています。
・最近あったこと
・体調の変化
・困っていること or 特になし
などを、短く箇条書きにしておく。
当日うまく話せなくても、それを見せるだけで最低限の情報は伝わります。
話せなくても、何かしらのやりとりができると、少し安心できます。
「話せなかった診察」も無駄ではない
実際、ほとんど何も話せなかった日でも、医師がこちらの様子を見て、表情や声の調子から判断してくれていたことがあります。
「話せない自分」にも意味があると感じたのは、そのときでした。
通院は「状態を伝える場」でもあるけれど、同時に「来られたこと」自体にも意味がある。
そう考えると、少しだけ気がラクになります。
体調が悪いときほど、言葉が出なくなる。
でも、通院は“うまく話すための場所”じゃなくて、“今の自分を見せる場所”だと考えるようになってから、通い続けやすくなりました。
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