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「“今日は何もしてないな”と落ち込んだとき、思い出していること」

病気と生きる技術

気づけば1日が終わっていた。
何をしたわけでもなく、ただ横になっていたような気がする。
テレビをつけていたけど内容は覚えていない。
スマホをなんとなく触って、気づけば夕方。

そんな日があると、「今日も何もできなかった」と自分を責めたくなります。
でも今は、その“空白のような1日”も、ちゃんと意味があると思うようになりました。


「何もしてない日」は、体が必要とした日かもしれない

外から見れば、“だらけていた日”。
でも、体の中では「休養」という大事な仕事をしていたかもしれない。

実際、そういう日の翌日に、少し気分が軽くなったり、
突然やる気が戻ってきたりすることがあります。
それを何度も経験してから、私は「何もしない日=準備の日」と考えるようになりました。


“記録に残らない日”にも価値がある

日記を書こうとしても、書くことがない。
「今日は寝てた」「ネットを見てただけ」
そう思ってノートを閉じてしまう日もあります。

でも最近は、「今日は静かに過ごした」とだけ書くこともあります。
それだけでも、「私はちゃんと今日を生きた」と思えるようになってきました。


なにもしていない日は、「がんばらなかった日」

「何かしなきゃ」「動かなきゃ」と常に思っている自分にとって、
“何もしなかった”という事実は、逆に「無理にがんばらなかった証拠」でもあります。

だから私は、そんな日は心の中で
「よく踏みとどまったね」と、自分に声をかけています。


空白のような1日も、ちゃんと“生きた時間”。
自分にはわからなくても、体や心が必要とした時間だったのかもしれない。

「何もしてない」と思える日ほど、自分に静かに拍手を送ってみる。
それもまた、病気と生きるための技術だと思っています。

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