ある日、久しぶりに体調がよくて、気分も前向きだった。
家事もスムーズにできて、頭も冴えていた。
「あれ、もしかして治ってきたかも?」
そう思って、その日に一気にいろんなことを詰め込んでしまった。
でも、次の日には、まるで電池が切れたように動けなくなった。
あのときの“回復したかも”という感覚は、まだ「本物」じゃなかったのだと、あとで気づいた。
一時的な「回復感」に、すべてを委ねない
精神疾患では、波があるのが当たり前。
だから「元気な日」がやってくると、その反動で舞い上がってしまう。
「治ってきたんだ! じゃあやりたかったこと全部やろう!」
……となるのは、無理もありません。
でも、元気になったのではなく、“たまたま良い日がきただけ”の可能性がある。
そう思えるかどうかで、翌日のしんどさは大きく変わります。
無理をした日は、「確認作業だった」と考える
私は、無理をして倒れてしまった日を
「自分の限界ラインを知るための実験」だったと考えるようにしています。
・午前中に出かけるのはまだ早かった
・人と2時間話すと、回復までに2日は必要
・一日3タスク以上入れるとパンクする
こういう“経験のデータ”が蓄積されることで、
次に似た状況になったとき、少しだけ調整が効くようになってきました。
「また倒れた自分」を責めない
元気になったと思って無理して、また倒れる。
そのたびに「自分は何も学んでない」と思うこともある。
でも、それもまた「回復の過程」だと、今は受け止めています。
本当に元気になっていくときは、“何もせずにいられる力”もついてきます。
急がなくてもいい。
むしろ、“ゆっくり進む練習”こそが、今の自分に必要だったのかもしれません。
少し元気になったからといって、すぐに以前の自分に戻れるわけじゃない。
それを知ったからこそ、私は今日、少し慎重に過ごしています。
回復とは、「焦らず進む力」を身につけていくことなのかもしれません。
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