病気でつらかった時期に、「元気そうに見えるね」と言われたことがあります。
たぶん、その人に悪気はなかった。
むしろ、少しでも安心してもらいたくて言ってくれたのだと思います。
でもそのとき、私は笑うことしかできませんでした。
本当は、うれしいどころか、少し傷ついていました。
「そう見えてるんだ…」という距離感
自分では、精一杯ふつうにふるまっていた。
でも、ふるまっているだけだった。
内側は、毎日ギリギリで、
泣く気力すらないほど消耗していた。
だから、「元気そう」と言われたときに思ったのは
「この人には、今の自分の苦しさは見えていないんだな」ということでした。
距離ができたような気がして、余計に孤独を感じたのです。
「よく見せてしまった」自分を責めたこともある
あのとき、「しんどい」と言えばよかったのか。
「実はつらいです」と言えば、違う反応が返ってきたのか。
あとからそう思って、自分を責めてしまったこともあります。
でも、心の状態を説明するのはとてもむずかしい。
話す余裕がなかったし、そもそも自分でもよくわかっていなかった。
だから私は、少しずつ「うまく言えなかったことも仕方なかった」と思うようになりました。
今は「元気そう」と言われても、少し違う受け取り方ができる
今でも時々、「元気そうに見える」と言われることがあります。
でも最近は、「ちゃんと服を着て、外に出て、挨拶している自分」に対して
そう思ってくれたのかもしれないと思えるようになりました。
「外から見て元気そうに見える=自分のがんばりが届いてる」と考えることで、
ほんの少しだけ、自分を認められるようになってきました。
外見と中身は、いつも一致するとは限らない。
だからこそ、言葉のすれ違いが起こることもある。
でも、それは誰かが悪いわけでも、自分が間違っているわけでもない。
「わかってもらえない日もある」と受け止められたとき、
心のしんどさは、ほんの少しだけ軽くなりました。
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