療養が長引いていた時期、
私はずっと、「誰の役にも立てない」と思っていました。
家族に迷惑をかけてばかり、社会には何も還元できない、
こんな自分が人の役に立てるはずがない、と。
でも、今は少しだけ違う考えを持てるようになりました。
“立ち直ってから”じゃないと役に立てないと思っていた
「元気になってから」「回復してから」
そうでなければ、誰にも何も与えられないと思っていました。
でも実際は、そんなに明確な“完治”なんてなかったし、
今も体調は波だらけ。
それでも、こうして誰かに何かを伝えようとしている。
完璧じゃなくても、何かを届けようとすることに意味があるのかもしれない。
そう思える日が、増えてきました。
「役に立つ」の定義が、変わった
以前の私は、「役に立つ=稼ぐ」「何かを成し遂げる」だと思っていました。
でも、今は「ただそこにいるだけでも、何かになる」と感じています。
・“私も同じです”と誰かに言えること
・黙ってそばにいること
・自分の弱さを言葉にして届けること
そういう形の“役立ち”もあると、少しずつ知りました。
「役に立てないからダメ」は、自分への厳しさだった
「何かしないと存在価値がない」と思っていたあの頃の自分。
でも、それは社会がそう言ったわけじゃなく、
自分自身が自分にそう言っていただけだったのかもしれません。
“誰かの役に立てるかどうか”で、自分の存在を計らなくていい。
ただ、今日を生きているだけでも、誰かにとってヒントになっているかもしれない。
今も私は、自分の価値に自信があるわけではありません。
でも、「役に立たないから生きてちゃいけない」とは思わなくなりました。
価値のあるなしを決めるのは、他人でも、過去の自分でもなく、
“いまの自分”であっていい。
そう思えるようになっただけでも、大きな変化だと感じています。
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