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何もしていない日がつらいとき、私は“何もしなかった記録”を残している

病気と生きる技術

今日も、これといって何もしていない。
どこにも出かけなかったし、誰とも会話していない。
やろうと思っていた家事も手をつけられなかった。
気づけば夕方になっていて、
「自分って、本当にダメなんじゃないか」と思うことがあります。

でも私は、そういう日をただの「空白」にしないようにしています。


「何もしていないように見える日」にも、ちゃんと意味がある

表から見たら何も起きてないかもしれない。
でも内側では、きっといろんなことをしている。
たとえば:

  • 朝起きる努力をした
  • 体が重くてもトイレには行った
  • つらい気持ちと向き合った
  • 食べられないなりに、何か口にした

それって、今の自分にとっては十分「行動」だと思っています。


だから私は、“何もしなかった日”をノートに書いている

私は毎日、1行だけメモを残すようにしています。
「起きられなかったけど、横になって耐えた」
「音も光もしんどくて一日中静かにしていた」
「何もせず、ただ今日を終えた」

こうして小さくても“生きた記録”を残すことで、
「意味がない一日だった」と思い込まずに済むんです。


“できなかった”と“休んだ”は違う

前は「何もできなかった=自分は無力だ」と思っていました。
でも今は、「今日は“休む”ことを選んだ」と考えるようにしています。

気分や体調の波があることを前提にして、
「今日は何かしなくてもいい日」だと判断できるようになると、
心がちょっとだけ軽くなります。


空白の日は、あとから「がんばってた日」に変わる

不思議なことに、何もしていなかったと思った日が、
あとで振り返ると“踏ん張っていた日”だったと気づくことがあります。

「ちゃんと寝てた」
「誰にも会わなかったけど、それが今の自分には必要だった」
そんなふうに、後から見えてくることもあります。


だから私は、動けなかった日こそ、記録に残す。
それが、今の私にとって「生きてる証」みたいなものです。

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