何かがあったわけじゃない。
誰かに傷つけられたわけでも、体調を崩したわけでもない。
それなのに、朝からなにもかもつらくて動けない。
そういう「理由のないしんどさ」が、私はいちばん苦手でした。
原因がわからないと、「甘えてるだけじゃないか」と思ってしまう
病院にも通っていたし、薬も飲んでいた。
生活環境もできるだけ整えていた。
それでも「なんかダメ」な日が続くと、
「こんなに何も起きていないのに…」と、自分を責めてしまっていました。
理由がわからないと、「気の持ちようでは?」とか「怠け癖では?」という考えがよぎって、
自分でも自分を信用できなくなる。
それがすごく、つらかった。
「理由を探す」ことが逆効果になることもある
しんどい気持ちに対して、「なぜ?」と原因を探してばかりいると、
どんどん思考が内側に沈んでいって、結局もっと苦しくなっていました。
「こういう性格だから?」
「過去のあれが影響してるのか?」
「今日は天気のせい?」
たしかにそうかもしれないけど、どれも決定打ではなくて、
納得のいく「原因」が見つからないまま、自分をぐるぐる責めるだけになっていた。
“理由がなくても不調でいい”と考えられるようになった
あるとき、医師から言われた言葉があります。
「理由のある不調よりも、理由のない不調のほうがよくあるし、自然なことです」
「理由がないってことは、“あきらめる”んじゃなくて、“そのまま見守る”ってことです」
その言葉が、すごく腑に落ちました。
“よくわからないけどしんどい”という状態に、無理やり意味を持たせなくていい。
それがわかってから、私は少しずつラクになりました。
理由がわからなくても、休んでいい。
ちゃんと説明できなくても、つらいものはつらい。
それを否定しないだけで、心は少しずつ回復していく気がします。
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