当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

原因がわからない不調に、一番ふりまわされていた時期がある

病気と生きる技術

何かがあったわけじゃない。
誰かに傷つけられたわけでも、体調を崩したわけでもない。
それなのに、朝からなにもかもつらくて動けない。

そういう「理由のないしんどさ」が、私はいちばん苦手でした。


原因がわからないと、「甘えてるだけじゃないか」と思ってしまう

病院にも通っていたし、薬も飲んでいた。
生活環境もできるだけ整えていた。

それでも「なんかダメ」な日が続くと、
「こんなに何も起きていないのに…」と、自分を責めてしまっていました。

理由がわからないと、「気の持ちようでは?」とか「怠け癖では?」という考えがよぎって、
自分でも自分を信用できなくなる。
それがすごく、つらかった。


「理由を探す」ことが逆効果になることもある

しんどい気持ちに対して、「なぜ?」と原因を探してばかりいると、
どんどん思考が内側に沈んでいって、結局もっと苦しくなっていました。

「こういう性格だから?」
「過去のあれが影響してるのか?」
「今日は天気のせい?」

たしかにそうかもしれないけど、どれも決定打ではなくて、
納得のいく「原因」が見つからないまま、自分をぐるぐる責めるだけになっていた。


“理由がなくても不調でいい”と考えられるようになった

あるとき、医師から言われた言葉があります。

「理由のある不調よりも、理由のない不調のほうがよくあるし、自然なことです」
「理由がないってことは、“あきらめる”んじゃなくて、“そのまま見守る”ってことです」

その言葉が、すごく腑に落ちました。
“よくわからないけどしんどい”という状態に、無理やり意味を持たせなくていい。

それがわかってから、私は少しずつラクになりました。


理由がわからなくても、休んでいい。
ちゃんと説明できなくても、つらいものはつらい。
それを否定しないだけで、心は少しずつ回復していく気がします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました