何も書けなかった。
部屋も片付かなかった。
ご飯も作れなかった。
連絡も返せなかった。
“何もできなかった日”の終わりは、決まって自己嫌悪でいっぱいでした。
でも今は、そういう日にも“終わらせ方”を自分なりに見つけるようになっています。
目次
「できなかったこと」じゃなく、「壊れなかったこと」に目を向ける
私がその日にやったのは、
・呼吸していたこと
・パニックにならなかったこと
・誰かを傷つけずに過ごせたこと
・生きて夜を迎えられたこと
どれも“すごくない”ように見えるけれど、
私にとっては、それだけで十分な一日なんだと考えるようになりました。
自分の“評価軸”を変えてみた
前は、「何を成し遂げたか」でしか、自分を評価できなかった。
でもそれでは、何もできなかった日は「無価値な日」になってしまう。
だから私は、「どれだけ静かにやりすごせたか」
「どれだけ無理をしなかったか」
「今日は“ちゃんと諦められた”」
そういう尺度で、自分を見るようにしています。
できなかったことは、“明日の私”に渡してみる
何かができなかったとき、それを「今日の失敗」として終わらせないで、
「これは明日の私に任せる」と思うようにしています。
そうすることで、「明日こそやらなきゃ」ではなく、
“今日は手放す”という感覚をもって一日を終えられるようになりました。
「何もできなかった日」も、ちゃんと今日の私の一部
何もしてない日も、
つらくて動けなかった日も、
すべてが私の一部。
私は今日をちゃんと生きた。
たとえ“動かなかった”としても、心はずっとがんばっていた。
そうやって、一日を静かに閉じる練習を続けています。
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