一日中、横になっていた。
食べて、薬を飲んで、また寝る。
そんな日が何日も続くと、私はよく「このままでいいのか」と焦っていました。
“何もしてない”ように見える自分を、許せなかったんです。
でも今は、その時期にしかできなかった“治り方”があったと気づいています。
目次
「寝るしかできない」は、何もしていないわけじゃなかった
当時の私は、ただベッドで天井を見つめていました。
それしかできなかったけれど、
でもあのとき、私の中では“内側の修復”が続いていたと思っています。
考えることをやめる。
刺激を遮断する。
ただ、じっとしている。
それは「動いていない」けれど、「整えている」時間でした。
外から見ると止まっている。でも中ではちゃんと動いていた
心も体も、「止まること」でしか整わないときがあります。
無理やり動かそうとするほど、余計に壊れてしまう。
あのときの私は、無意識にそれを察知して“休むこと”を選んでいたのかもしれません。
それに気づいたとき、「寝てばかり」だった自分に対して、
初めて「よくがんばってた」と思えるようになりました。
“寝るしかなかった時期”を経たから、今少し動けている
いま、少しずつ動けるようになったのは、
あの“長くて何もないように見える時間”があったからだと思っています。
焦って無理していたら、
いまこうして文章を書けていなかったかもしれない。
だから私は、これからも「動けるときは動く」「動けないときは休む」
それだけを自分に許し続けていこうと思います。
寝て過ごすしかない日々も、ちゃんと「生きていた」時間
寝るしかなかった日々。
私にとっては、決してムダではありませんでした。
それは「回復の土台をつくっていた時間」。
今、同じように寝て過ごしている人がいたら、
「それもちゃんと、生きてることなんだ」と伝えたいです。
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