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何も言われなかった。でも、それがかえって動きやすかった。――制度に無関心な親のもとで支援を選んだ話


制度を使うとき、反対されることばかりがつらいわけじゃない。
「無関心」もまた、静かな壁になることがある。

自立支援医療や、障害者手帳の取得。
相談したときの親の反応は、予想外にあっさりしたものだった。


「へえ、そうなんだ」――それだけだった

病院から制度の案内をもらい、親に「こういうのがあるらしい」と話したとき。
返ってきたのは

「ふーん、そういうのあるんだ」
という一言だけだった。

反対もされなかったけれど、心配もされなかった。
どこか他人事のような温度感だった。


無関心は、反対よりラク。でも少しさみしい

強く否定されるよりは、ずっと動きやすい。
でも、「がんばって」「大丈夫?」のひと言すらないと、
心の支えを感じられないまま手続きを進めることになる。

たとえば診断書の費用や、申請の手間、心の負担。
全部、自分で飲み込んでいくしかなかった。


それでも、制度は支えになった

  • 自立支援医療で、通院費がぐっと下がった
  • 手帳で、バス代が半額になった
  • 医療費と交通費の心配が減ったことで、通院をやめずにすんだ

「何も言われなかったから、使えた」
その意味では、無関心も“悪”ではなかったのかもしれない。


親の中では「どうせ何も変わらない」という諦めもあったのかもしれない

ある日、ふと親が漏らした。

「何使っても、あんまり変わらないよな」
「でも、お前が少しでもラクになるなら、別にいいけど」

強く関わらないことで、自分なりに私を見守っていたのかもしれない。
親なりの、距離の取り方だったのかもしれない。


まとめ:何も言われなかったからこそ、自分の意思で制度を使えた

反対されるのもつらいけど、無関心にも独特のしんどさがある。
でも、自分で調べて、自分で決めて、自分で動いたという事実は、
少しだけ誇らしかった。

そして、制度はやっぱり“味方”だった。
親が何も言わなくても、自分で助けを選んでよかった。

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