ふと考えることがあります。
「もし、あのとき制度がなかったら、自分はどうなっていたんだろう」と。
制度があったから助かった。
支えてくれる仕組みがあったから、生き延びられた。
これは決して、大げさな表現ではありません。
今ここにこうして生きている自分は、制度があったから存在できている。
そんな気づきを、今回はあらためて書いてみたいと思います。
目次
制度を知らなかった頃、未来は真っ暗だった
働けなくなったとき、収入がゼロになった
病気が悪化し、通勤が困難になり、退職。
体も心も限界だったのに、「どうやって生きればいいのか」がまったくわかりませんでした。
生活費は底をつき、助けを求める気力すら失っていきました。
「支援を頼る」という発想がなかった
そもそも、制度という存在を知りませんでした。
知っていても、「自分が対象になるわけない」と思い込んでいた。
その結果、苦しくなっても、ひとりで抱え込むしかない日々が続いていました。
制度が「命綱」だったことに、後から気づいた
支援がなければ、本当に生きていけなかった
就労継続支援や障害者手帳、医療費の助成や交通費の減免――
ひとつひとつの制度が、暮らしを支える土台になりました。
体調が悪くても、なんとかご飯が食べられ、眠る場所があり、人と話す機会がありました。
もしこれらがなければ、生活は破綻し、孤立し、社会と完全に切れていたと思います。
気持ちの面でも「ひとりじゃない」と感じられた
制度そのものだけでなく、制度を通じて出会えた人たち。
支援員さんや仲間との会話、ちょっとした「お疲れさま」の一言――
それらがなかったら、自分はここまで回復することはできなかったはずです。
「支えがあったから、今がある」と言えることの大切さ
誰かに甘えたのではなく、仕組みに助けられた
制度に頼ることに、当初は後ろめたさもありました。
でも今は、こう思います。
「誰かの“好意”にすがったんじゃない。社会の“しくみ”に守ってもらったんだ」と。
これは、自分の尊厳を守るためにも、大切な視点でした。
「生きてるだけでいい」と本気で思えた日
制度がなかったら、今ごろは命の危機にすら陥っていたかもしれません。
そう考えると、今日こうして文章を書いているだけでも、奇跡みたいなものです。
「生きているだけで十分」――それが空虚な言葉じゃなく、本当に感じられた日があったのです。
まとめ:制度があることは、希望そのものだった
もし制度がなかったら、私は今ここにいませんでした。
たったひとつの申請、ひとりの支援者との出会い、わずかな助成――
それらが連なって、今の生活があります。
制度は、単なるお金やサービスではなく、
「もう一度やり直していい」と背中を押してくれる希望のかたちでした。
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