「使わなくてもなんとかなる」
「今はまだ必要ない」
「自分よりもっと困っている人がいる」
そうやって、制度を使わないまま、私は長い間がんばり続けました。
でも、今だからはっきり言えます。
「あのとき制度を使っていれば、もっと早く立て直せた」と。
がんばりすぎた代償は、想像以上に大きかったんです。
“がんばること”が、美徳のように思えていた
「まだ動ける」
「まだ働けるかもしれない」
「寝込んでるほどじゃない」
そんなふうに、“まだ”を言い訳にして、限界を無視していました。
制度を使うという選択肢は知っていたけど、
“自分がそれを使う資格がある”とは思えなかった。
それは、世間の目を気にしていたというよりも、
自分自身が、「弱さを認めるのが怖かった」だけだった気がします。
結果として、心も体もぼろぼろになった
無理を重ねた日々の末に残ったのは、
抜け出せない疲労感と、罪悪感、そして「壊れた自分」でした。
家計は破綻寸前。
体調は悪化の一途。
人と関わる余裕もなくなり、誰にも相談できず、孤立していきました。
あのとき、誰かに「制度使っていいんだよ」って言われていたら――
自分でもそう言えていたら、違う未来があったかもしれません。
制度を使うことは「甘え」ではなかった
いま、ようやく制度に助けられながら暮らしています。
不思議なもので、制度を使っても「人間としての価値」は何も変わらなかった。
むしろ、安心感が少しずつ日常を取り戻させてくれて、
働く意欲や生活のリズムが戻ってきました。
支援とは、“さぼるためのもの”ではなく、
“再び前を向くための足場”だったと知りました。
まとめ:がんばることは大切。でも、それだけじゃ足りないときがある
制度を使わなかった時間は、後悔しています。
でも、だからこそ言えるのだと思います。
「がんばる」ことは否定しない。
でも、「制度を使う」ことを、自分への裏切りのように感じなくてもいい。
それは、よりよく生きるための“もうひとつの努力”だから。
どうか、自分を壊してしまう前に。
制度という支えを、怖がらないで使ってほしい。
あのときの私のように、遠回りをしなくて済むように。
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