「まだ若いのに、制度なんて頼ってたらダメだよ」
「自立したいなら、人に頼らずやりなよ」
制度を使っていることを話したとき、そんな言葉をかけられたことがあります。
悪気はなかったのかもしれない。
でも、その言葉は私の心に、深く刺さりました。
“制度を使っている=自立していない”
そう決めつけられることに、強い違和感を覚えたのです。
目次
「自立」とは、“すべて自分でやること”なのか?
食費も交通費も、医療費も。
全部を自分ひとりでまかなってこそ“自立”なのだとしたら、
多くの人が“まだまだ未熟”ということになってしまいます。
でも実際には、健康保険に入っていたり、通院補助があったり、家族に手伝ってもらったり。
多くの人が、何らかの「支え」を受けて生きています。
なぜか、“制度”という形になると、途端に「甘え」だと見なされてしまう。
それって、あまりにも不公平だと思いました。
「制度を使ってでも生活を整えること」こそ、自立への第一歩だった
私にとっては、制度を使って通所を続けたり、交通費を浮かせたり、
そういった“現実的な選択”の積み重ねが、生活の安定につながりました。
体調が整い、少しずつ仕事に向き合えるようになったのは、
制度という“足場”があったから。
それを「自立していない」と言われるのは、なんだか腑に落ちません。
むしろ私は、制度を知り、使いこなすようになってからのほうが、
「自分の生活に責任を持っている」という実感が強くなりました。
自立って、「頼らないこと」じゃなくて「選べること」だと思う
制度を使うか使わないか。
誰にどこまで頼るか。
自分にとってのベストなバランスを、自分で考えて選ぶこと。
それが、本当の意味での「自立」じゃないかと私は思います。
全部を背負い込むことが自立なら、
誰にも弱音を吐けない人ほど“えらい”ことになってしまう。
でもそれって、本当に健全な社会なんでしょうか?
まとめ:「制度を使ってる=自立していない」なんて、思い込まなくていい
制度は“人間として足りない人”のためにあるんじゃない。
誰もが、困ったときに選べる“手段”として存在しているもの。
私はいま、自分で制度を選び、使い、生活を整えている。
それは、「社会に支えてもらっている」という実感とともに、
「ちゃんと自分の人生を選べている」という誇りでもあります。
だからもう、「制度を使ってるから自立していない」なんて、
誰にも言わせたくないし、自分でも思いたくありません。
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