「支援制度は、誰にでも開かれている」
そう聞いて、安心した気がしました。
でも、実際に使ってみて感じたのは、
“制度の使いやすさは人によってまったく違う”という現実でした。
制度そのものが平等でも、
そこにたどりつくまでの距離や負担は、
驚くほどバラバラなんです。
目次
「知っている人」「動ける人」だけが使いやすい仕組み?
私が初めて制度に触れたとき、
それは周りの人が“たまたま教えてくれたから”でした。
でも、周囲に制度に詳しい人がいなかったら?
そもそも自分の状態を「制度で支援されるべき」と思えなかったら?
手続きを進める気力がなかったら?
たまたま“つながっていた”から使えたけれど、
そうでなければ、存在しないのと同じだったかもしれません。
制度の入口が「高すぎる」こともある
障害者手帳や通院助成の申請は、
必要書類の準備、病院での診断、役所での手続きなど、
“やること”がとても多いです。
健康で、理解ある人がそばにいて、時間も体力もあれば進められる。
でも、一番困っている人ほど「その一歩目が踏み出せない」という矛盾があります。
「使えるかどうか」じゃなくて「たどり着けるかどうか」が分かれ道
制度が存在していることと、
それが“本当に届く”ことは別問題なんだと、何度も感じました。
パンフレットには「誰でもご利用いただけます」と書かれていても、
本当にそうだろうか?と立ち止まって考えたくなる瞬間が、いくつもありました。
支援を必要としているのに、「使えない人」がいる現実
誰かに相談できなかったり、
「こんなこと言ってもいいのかな」と言い出せなかったり、
体調が不安定で窓口にすら行けなかったり――
そうやって、“制度の前で立ち尽くしている人”を、私は何人も見てきました。
制度の設計そのものが、そうした人たちを見落としている気がしてならないのです。
まとめ:「制度を届ける」には、もっと“余白”が必要だと思う
制度は必要です。
でも、それを“使いこなせる前提”で作られていると、
本当に困っている人からはどんどん遠ざかってしまう。
もっと「途中でつまずいても助けてもらえる」ような仕組みがあったら。
もっと「知らなくても、近くの誰かがそっと教えてくれる」ような環境があったら。
制度はもっと、人に寄り添えるものになるはず。
支援って、「制度を作ること」じゃなくて「届かない人に届けること」なんだと思います。
コメント