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制度を使って感じた「ありがたいけど、なんか違う」あの違和感

社会と制度を生き抜く知恵

支援制度を使うようになって、たしかに助かった部分は多くありました。
でも、それと同時に、「なんかちょっとズレてるかも」という違和感を感じたこともあります。

ありがたさと、物足りなさ。
制度の“正しさ”と、生活の“リアル”の間にある微妙なずれ。

今回は、そのモヤっとした経験について書いてみようと思います。


仕組みは整っているけど、「人」がついてこないときがある

たとえば、通所施設の支援メニューや計画書はしっかりしている。
でも、実際に日々対応する支援員さんと話すと、
どこか上からだったり、マニュアル的だったりすることがある。

制度の上では「本人主体」とされていても、
現場では“どう回すか”が優先されてる感じがすると、
自分の希望や思いは後回しなんだな…と感じてしまいます。


一律の枠に「自分を当てはめる」のがきつい

支援を受けるには、「これを満たしてください」「この条件に合ってください」と言われる。

たとえば、週○日以上通える人だけが対象。
診断書の文言がこうでないと認められない。

そうやって、“制度の型”に合わせることが前提になると、
自分が制度に合わせて生きてるような気持ちになってきます。

もっと柔軟だったら、自分に合った形で利用できるのに――
そう感じる瞬間がたびたびありました。


“ありがたい”と思えないとダメな空気がしんどい

制度を使っていると、「助けてもらってるんだから文句は言えないよね」みたいな空気があります。

「ここがちょっと合わなくて…」と話しても、
「でも制度があるだけありがたいじゃない?」で終わってしまう。

もちろん、ありがたい気持ちはある。
でも、それだけで済ませるには、現場にはたくさんの「使いにくさ」や「不便さ」があるのです。


それでも、「文句を言えること」もまた大事

制度は“完成品”じゃなくて、“育てていくもの”だと思います。
だからこそ、「ここが合わない」「もっとこうしてほしい」
そういう声をあげることも、制度を使う側の立場として必要なのかもしれません。

モヤモヤした経験は、「感謝が足りない」のではなく、
本音に正直だったから生まれた違和感だったのだと思います。


まとめ:「制度に合わせる」ことのしんどさも、ちゃんと語っていい

制度はたしかにありがたいものです。
でも、それが“完全に満足できる仕組み”ではないと感じるのも自然なこと。

使ってみて感じた違和感や不自由さを無視しないことが、
これから制度をもっと良くしていくヒントになるはずです。

「ありがたい」だけで終わらせない視点。
それもまた、制度とつきあっていく上での知恵だと私は思います。

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