「大丈夫です」
「問題ないです」
「なんとかなります」
この言葉が、口ぐせのようになっていた時期がありました。
本当は苦しいのに、誰にも伝えられない。
“弱さを見せたら、見下される・嫌われる”と思っていたからです。
目次
「がんばってる人」じゃないと居場所がない気がしていた
誰かに支援を求めるときでさえ、
「できるだけ迷惑をかけないように」
「なるべく明るく、元気に振る舞わなきゃ」
と気を張っていました。
でもそれは結局、「本当の自分はここにいない」という感覚につながっていきました。
支援は受けているのに、心はつながっていない。
そんな空虚さを感じていました。
弱さを出した瞬間、距離が縮まった
あるとき、支援員の人に、
「本当は、毎日ここに来るのもしんどいです」とポロッと漏らしてしまったことがありました。
するとその人は、驚くどころか、
「そう感じてるのに、よく頑張ってるね」と返してくれました。
その言葉で、「ここでは、ちゃんと“しんどい自分”も受け止めてもらえるんだ」と感じたのを覚えています。
強がることが、自分を一番苦しめていた
思えば私は、「弱音を吐いたら終わり」「誰にも頼れない」
そう思い込んで、ずっと肩に力を入れていました。
でも、それが一番自分を追い詰めていたんです。
“しんどい”と素直に言えたときのほうが、まわりとちゃんとつながれていた。
強く見せるより、正直なほうが、安心していられた。
そんな経験が、価値観を少しずつ変えてくれました。
「弱さを見せてもいい」という小さな許可を、自分に出せるようになるまで
いまも、すぐに人に頼るのは苦手です。
でも、「助けてほしい」「今日つらい」という気持ちを、
信頼できる誰かにだけは出せるようになりました。
それだけで、社会とのつながり方が、少し変わった気がします。
まとめ:強くあろうとしなくていい。「正直な自分」でつながればいい
がんばることは大事だけど、
“がんばってるふり”を続けることは、もっとつらい。
弱音を出すこと、頼ること、迷うこと。
それらを許せる場所を持てたことで、
私はようやく「社会に居場所がある」と思えるようになってきました。
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